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他人についての記録は、自分の日記より慎重に扱われるべきだ

日記が誰かに読まれたら、恥ずかしい。友人について書いたメモが誰かに読まれたら、恥ずかしいのは自分ですが、被害を受けるのは友人です。この違いは小さく見えて、実際にはまったく別の種類の問題です。

同意していない人の情報が入っている

自分の日記に書かれているのは自分のことです。それを書き残す判断も、どこに置くかの判断も、全部自分がしています。リスクを取っているのも自分です。

友人についての記録は違います。そこに書かれた内容は、友人があなたに話したものです。あなたが記録することについて同意したわけでも、その記録がどこに保存されるかを知っているわけでもありません。話した相手はあなた一人だったはずなのに、気づかないうちに、書き留められ、どこかに保存されている。

これは責めるべきことではありません。誕生日を書き留めるのも、電話番号を持つのも、同じ構造です。ただ、扱いに要求される慎重さの水準が、自分についての記録とは違うということは、認識しておく価値があります。

内容が、想像以上に重い

関係についての記録に何が書かれるかを考えると、この点ははっきりします。

  • 健康のこと。診断、検査、通院、家族の病気。
  • 仕事のこと。転職を考えていること、まだ社内に言っていない話、うまくいっていない状況。
  • 家庭のこと。夫婦のこと、子どものこと、親の介護、経済的な事情。
  • まだ公になっていないこと。妊娠、退職、引っ越し、別れ。

これらは、その人が信頼したから話したことです。しかも多くは、時期を選んで公にする種類の情報です。転職を考えていることが、本人が話すつもりのない相手に伝わったときの実害は、はっきりしています。

自分の日記に「今日は落ち込んだ」と書くのとは、まったく重さが違います。

漏れ方は、劇的ではない

ここで大規模な流出の話をしたいわけではありません。実際にこの種の情報が意図せず広がる経路は、もっと日常的です。

共有の端末で開きっぱなしになっている。同期している別の機器を家族が使う。画面を見せているときにたまたま通知が出る。検索結果に混ざって出てくる。バックアップが別の場所にコピーされている。アカウントを共有しているサービスに入っている。

どれも派手ではありませんが、実際に起きるのはこちらです。そして、こういう形で漏れたとき、相手にとっては「あなたが話した」のとほとんど同じことになります。

では、何を基準に考えるか

技術的な話に入る前に、判断の順番があります。

1. そもそも書かない、という選択肢

いちばん確実な保護です。特に、本人が「これは誰にも言わないで」と前置きしたことは、書かないほうがいい。覚えていられないなら、覚えていられない範囲で付き合うほうが、記録して漏らすリスクを持つより健全です。

2. 書くなら、本人が話した範囲だけ

共通の知人から聞いたこと、SNSで見たこと、推測したこと。これらを混ぜ始めると、記録の性質が「相手が自分に話してくれたこと」から「相手についての調査」に変わります。線はここに引くのが分かりやすい。

3. 保存されている場所を、自分が知っていること

これが実務的にはいちばん大事かもしれません。そのデータが端末の中だけにあるのか、どこかのサーバーにも複製されているのか、誰がそれを読める状態にあるのか。知らないまま使っているなら、他人の情報を、自分が把握していない場所に置いていることになります。

4. 暗号化が意味を持つ理由

暗号化という言葉は技術的に聞こえますが、ここでの意味は単純です。保存されている場所にアクセスできる人が、必ずしも中身を読めるとは限らない状態にするということ。他人から預かった情報を持っている以上、これは過剰な要求ではありません。むしろ、健康や家族の情報が入る種類のデータには、最低限の期待と言っていいと思います。

ちょうどいい重さで受け止める

ここまで読んで、怖くなって全部消したくなったなら、それは行きすぎだと思います。忘れてしまうこと自体にもコストがあり、相手が話したことを覚えていられないと、関係は薄くなっていきます。

適切な位置は、たぶん真ん中あたりです。書いていい。ただし、他人の情報を預かっているという意識を持って書く。

判断に迷ったときの基準は一つで足ります。その人が自分のメモを見たとして、書かれていること自体に驚かないか。驚かない範囲のことを、自分が場所を把握できている場所に置く。それだけで、実際に問題になる場合のほとんどは避けられます。

誰かが自分に何かを話してくれたという事実には、それなりの重みがあります。その重みを、記録の扱い方のほうにも反映させておく、というだけの話です。