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「友人のことをメモするのは打算的では?」という問いに、正面から答える

友人について何かを書き留めるという話をすると、かなりの確率で同じ反応が返ってきます。なんだか計算高い。友情はそういうものじゃない。営業の顧客管理みたいで気持ち悪い。この反応は雑な感情論ではなく、いくつかの正当な直感を含んでいます。ただ、その直感が指しているものと、実際にやっていることが、少しずれている場合もあります。分けて考える価値があります。

違和感には、根拠のある部分がある

まず、正しい側から認めます。

人を管理対象にすると、関係の質は落ちる。これは本当です。誰かとの関係を「処理すべき項目」として扱い始めると、連絡は片づけになります。片づけとして送られたメッセージは、受け取る側にほぼ確実に伝わります。文面の問題ではなく温度の問題なので、隠せません。

見返りを前提にした関係は、記録によって加速する。誰に何をしてもらったかを台帳のように持ち、貸し借りを意識するようになると、それは友情ではない別の何かになります。記録がその方向を後押しする可能性は否定できません。

他人の情報を蓄積することには、本来の重さがある。これは後で詳しく触れますが、自分についての記録と、他人についての記録は同じものではありません。この違和感は、むしろもっと真剣に扱われるべきです。

ずれている部分

一方で、「打算的」という言葉が指すものを、この話は必ずしも含んでいません。

打算とは、相手から何かを引き出すために関係を設計することです。そこには目的があり、相手は手段になっています。では、友人の親の手術の日付を覚えていることは、何を引き出すための行為でしょうか。相手がそれを話してくれたときに感じたものを、三週間後にも保持しておく、というだけの動作です。ここには取引がありません。

むしろ逆のことが起きています。覚えていられないから連絡できない、という状態のほうが、関係を痩せさせます。細部を思い出せないと、話は近況報告の水準に戻り、深い話は続かなくなる。忘却は中立ではなく、関係を平板にする方向に働きます。

本当は、記憶を外に置くことは日常的な行為だ

私たちはすでに、大量の記憶を外部化しています。誕生日をカレンダーに入れる。電話番号を端末に持たせる。買い物のリストを書く。子どもの検診の予定を共有する。これらを「家族に対して打算的だ」と言う人はいません。

友人についての記憶だけが特別に感じられるのは、たぶん、友情には自然でなければならないという規範があるからです。努力の跡が見えると、感情の純度が下がったように感じる。この規範自体はかなり強力で、多くの人がそれに従って何もせず、そして関係を失っています。

ただ、この規範は一貫していません。誕生日を覚えているのは美徳で、覚えるために書いておくのは打算、というのは奇妙な線の引き方です。評価されているのは結果ではなく「苦労なく覚えられる才能」ということになりますが、その才能の有無と、相手を大切に思う気持ちの量には、ほとんど関係がありません。

それでも、危険な線はある

ここが本題です。危険なのは記録すること自体ではなく、特定の使い方です。

点数をつけ始めたとき

誰と何日連絡していないかを数え、放置日数の長い順に並べ、消化していく。この形になった瞬間、関係は在庫になります。ここには明確な失敗があり、しかも記録がそれを容易にするのは事実です。数えられるものは数えたくなるからです。

好印象のために使うとき

細部を覚えておくのは、気が利く人だと思われるためではありません。もしそれが目的なら、これは正真正銘の打算であり、そして相手に伝わります。人は、関心を向けられることと、関心があるように演じられることの差に、驚くほど敏感です。

相手が話していないことまで集めたとき

本人がSNSに書いていた情報、共通の知人から聞いた事情、推測した内容。これらを本人が話してくれたことと同じ場所に書き込み始めると、性質が変わります。友人についての記録と、友人の身上調書のあいだの線は、思っているより細いところにあります。

結局のところ、どう考えればいいか

いちばん役に立つ判断基準は、たぶんこれです。その記録は、相手に見せたときに気まずいか。

「三月に転職の面接、二次で悩んでいた」と書いてあるのを本人が見ても、何も問題は起きません。むしろ少し嬉しいかもしれない。「連絡から42日経過」と書いてあるのを見たら、少し寒い。「共通の知人経由で聞いた離婚の話」があったら、はっきり不快でしょう。

この一つの問いだけで、ほとんどの線は引けます。そして、この基準を通る記録は、打算ではありません。それは、有限の記憶を持った人間が、有限でない量の大切なことを取りこぼさないための、ごく普通の工夫です。

気にしていない相手のことを書き留める人はいません。この違和感を最初に感じるのは、たいてい、実際にかなり気にしている人のほうです。