友人のことをメモしておくのは変なことか
友人についてメモを取っていると話すと——子どもの名前、転職を考えていたこと、母親の手術がいつだったか——相手の顔に浮かぶのは「気持ち悪い」、控えめに言っても「ちょっと変」という表情です。この反応は、言い返す前にきちんと受け止める価値があります。たいてい的外れではないからです。何か本物のものを捉えてはいます。ただ、多くの人が思っているのとは違うものを捉えています。
その違和感は、本当は何についてのものか
人がとっさに使う言葉は「CRM」です。顧客関係管理システム、つまり営業チームが見込み客をパイプラインに沿って動かすためのソフトウェア。前回の接触はいつか、次の接点はどこか、案件の規模はどれくらいか。誰も、他人のパイプラインの中の一行になりたくはありません。もし「友人についてメモを取る」ことが、営業チームが見込み客を扱うのと同じように友人を扱う——やり取りを記録し、関与度に点数をつけ、ある目標に向けて進める——ことを意味するなら、その違和感は完全に正しく、どんな善意でも直せません。問題は構造そのものにあるからです。
ただし、それは数ある型のうちの一つにすぎず、唯一のものではありません。「変」という反応の多くは、実はその型に対して起きているのであって、「覚えておく」という行為そのものに対してではありません。何年も続けている日記に、そこに登場する人たちのことが書かれていても、誰もそれを気味悪いとは思いません。友人の父親の具合が悪いと知って、促されもせずに気にかけて尋ねることも同じです。違和感が立ち上がるのは、「覚えておく」ことが「管理」に見え始めた瞬間です。パイプライン、点数、「そろそろ連絡すべき相手です」という警告——これらはもともと営業の語彙で、それがそのまま、あなたが愛している人たちに向けられているのです。
分けて考えるべき、二つの問い
「友人のことをメモするのは変か」という問いは、実は性質の違う二つの問いを一つにまとめてしまっていて、それぞれ答えが違います。
意識して誰かのことを覚えておくのは、変なことか。変ではありません。あなたの親しい関係のほとんどは、すでに部分的にこれで成り立っています。妹が何にアレルギーがあるか、親友の元恋人の名前、コーヒーを飲む前に話しかけられるのを嫌う同僚が誰か。誰もそれを監視だとは感じません。それが明らかに関係のために働いていて、関係を追跡するために働いているのではないからです。
見込み客とノルマのために作られた仕組みに、身近な人たちを通すのは、変なことか。変です。そしてそう感じる直感は正しい。連続記録、点数、「連絡が滞っています」という赤いフラグ——一つでも指標が入り込んだ瞬間、他人を客に変えるために作られた枠組みが、すでにあなたを愛してくれている人に向けられています。語彙自体がそれを物語っています。誰も友情が「コンバージョンした」とは言いません。そう言うソフトウェアがあるなら、それは自分がどんな論理の上で動いているかを、そのまま教えてくれているということです。
道具の問題ではなく、自分自身の問題である部分
もう一つ、指標とはまったく関係のない、静かな違和感があります。それは、覚えておくために書き留めておく必要があるということ自体が、ある種のズルなのではないか——本当の友人はこれをすべて頭の中だけで持っているはずで、メモは「十分に気にかけていない」ことの自白なのではないか、という感覚です。
これは筋が通りません。人間の記憶は、親しい関係が実際に必要とするような、日付が入り十人分の細部を伴う情報を運ぶようにはもともとできていません。特に生活が忙しくなり、愛する人たちが毎週同じ部屋にいるわけではなくなってからは。作家はノートをつけます。医師はカルテをつけます。それを対象への関心の代用品だとは誰も呼びません。補助のない記憶は水漏れするバケツだという事実に対する、ごく普通の対応として認められています。友情は、いまだに「完全に頭だけで扱えるべきだ」と自分自身に期待し、扱えなかったときに静かに自分を裁いてしまう、数少ない領域の一つです。
メモは、その気持ちの代わりをしているのではありません。その気持ちが、会話と会話の間の三週間を生き延びられるようにしているだけです。不安の色眼鏡を外せば、「手術のこと聞いた、14日」と書かれたメモは、気持ちの劣化版ではありません。忙しい一か月を越えられる形に、その気持ちを落とし込んだものが、まさにこの姿をしているのです。
実際に問題になり得る部分
だからといって、その懸念がすべての場合において根拠がないわけではありません。実際に問題になり得る場面については、正直に書いておく価値があります。
- メモが、親しさを支えるためではなく、演じるために存在しているとき。目的が、あとで本物の質問をできるようにすることではなく、気が利いて見えることであるなら、そのメモは装飾にすぎません。ほとんどの人は、本当に覚えていた細部と、その場で調べただけの細部の違いを感じ取れます。
- 記録そのものが、関係よりも大事になっているとき。更新していないメモのほうが、返事のないメッセージより気になるなら、何かがひっくり返っています。
- そのメモが、実際には守られていないとき。これらはその性質上、他人の情報です。診断、離婚、まだ公表していない転職。それを保管する場所には、スマートフォンのパスコード以上の、本物の配慮が要ります。
気づいてほしいのは、これらのどの失敗も「書き留めること」そのものが引き起こしているのではないという点です。原因は、なぜそれをしているのか、そして集めたものをどれだけ大切に扱っているかにあります。
もっと簡単な見分け方
手早く確かめたいなら、そのメモが何のためのものかを自分に問うといいでしょう。「訊き忘れないため」は、あっさり合格します。「遅れを取らないため」は合格しません。そもそも自分が決めたことのない予定表と、遅れを取り得る相手の存在を前提にしてしまっているからです。前者は関係のための記憶です。後者は関係をタスクに作り替えています。そして本当に変なのは、そのノートではなく、この作り替えのほうです。
これを変だと感じる人は、たいてい正しく反応しています。生活のどこか別の場所で、関係がすでにパイプラインのように運営されているという現実に対して。職場、アプリ、あらゆるものを最適化するよう静かに促す文化——愛する人たちさえも含めて。その反応は、友人のことを覚えておくのをやめる理由にはなりません。自分が何をしているのかを、はっきりさせておく理由にはなります。