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フォローを外した友人に連絡するのは、おかしいことだろうか

去年のどこかで、その人のフォローを外した。投稿が多すぎてタイムラインがその人でいっぱいになっていたのかもしれない。新しい恋人の話を延々と見せられるより、見ない方が楽だったのかもしれない。あるいは、ただ自分が本当に見たいものだけが残るように整理しただけかもしれない。そのときはそれで納得していた。今、何かのきっかけでその人を思い出して、ひとこと送りたくなった。なのにメッセージ欄の上で指が止まる。連絡することが、まず何か説明を必要とする行為に思えてしまうからだ。以前はそんなことは一度もなかったのに。

フォロー解除が急に「証拠」に見えてくる理由

この気まずさは、送りたいメッセージの内容とはほとんど関係がない。問題は、フォロー解除してから今までの間に、自分の中でひとつの物語を作ってしまったことだ。フォローを外したままで連絡するのは筋が通らないのではないか。もっと悪いことに、それは自分が説明したくないこと――なぜ距離を置いたのか、そのとき自分がどういう状態だったか、このタイミングで連絡するのが都合よく見えないか――を掘り出してしまうのではないか。この物語のどの一文も、相手が書いたものではない。あるアプリが記録したひとつの操作について、自分の頭の中だけで組み立てたストーリーであり、その操作が実際に持っていた重さを、はるかに超えている。

フォロー解除が実際に意味すること、意味しないこと

フォロー解除はタイムラインについての決定であって、人についての判定ではない。それが変えるのは画面に流れてくるものであって、メッセージのやり取りや電話や、実際に会って過ごした時間には何も触れていない。この二つはあまりに一緒に語られがちで、まるで同じ関係を測っているように思えてしまうが、そもそも測っているものが違う。一方は「今週、その人の投稿を受け止める余裕が自分にあるか」であり、もう一方は「その人を自分の生活の中に置いておきたいか」だ。互いに深く好意を持っている友人同士でも、まったくフォローし合っていない例はいくらでもある。タイムラインと友情はもともと別のレールの上を走っているからだ。フォロー解除をその友情についての発言として扱うのは、小さく実務的なだけの判断に、本来持っていない重い役割を負わせることになる。

気づいていないことがほとんど、という少し楽になる話

フォロー解除はほとんどのプラットフォームで相手に通知が飛ばない上、大半の人はフォロー解除した側が思っているほど、自分のフォロワー一覧を細かく見返してはいない。相手が気づいたとしても、一度気づいて肩をすくめて忘れた、という方が、それ以来ずっと心の中に留めて根に持っていた、というより圧倒的にありそうな話だ。人は「自分がどれくらい見られているか」をいつも実際より大きく見積もる。試しに、誰かに自分をフォロー解除されたことに気づいて、それを何か月も覚えていた最後の記憶を思い出してみてほしい。たいてい思い出せない。自分もそんなことはしていないからだ。

フォロー解除を裁判にかけずに連絡する方法

そのメッセージに、タイムラインについての前置きは必要ない。フォロー解除がその時の情報量や気分、あるいは自分自身の余裕についてのことで、相手そのものを遠ざけたいわけではなかったのなら、思い出したきっかけをそのまま書けばいい。「これ見て思い出した、最近どう?」に、フォロー欄についての注釈は要らない。それでも十分に本気だ。自分から切り出すことは、たいてい逆の効果を生む。相手が気づいていなかったかもしれない情報をあえて渡し、しかも会話を再開しようとしているまさにその瞬間に、それについて何か感じることを求めてしまうからだ。話に出なかったとしても、それは何かを隠しているわけではない。連絡にはもともと複数の層があって、フォローはその一層、言葉を交わすことはまた別の層で、二つが揃う必要は最初からない。

ひとこと触れる価値がある場合

ひとつだけ、フォロー解除に触れる価値がある場合がある。それが偶発的なものではなく、本当の対立――喧嘩や、傷つけられたこと、投稿だけでなくその人自身から距離を置く必要があった時期――の中で起きた、目に見える一歩だった場合だ。そのときフォロー解除は、もっと大きな決断のうち目に見える部分のひとつであり、それを素通りしたまま連絡を再開すると、大事な部分を飛ばしたように受け取られかねない。それでも、きちんと説明を並べる必要はない。ひとこと本当のことを言えば十分だ。「あのことがあってから、少し距離を置いていたけど、会いたいと思っていた」。再会を審問にする必要はない。フォローを戻すという行為だけでも、言葉を使わずに同じことを伝えられる。

正直な但し書き

連絡することと、フォローを戻すことは別の選択で、片方だけを選んでもいい。誰かに声をかけたいと思うことは、その人の投稿量や、今のその人の生活の見せ方を、また毎日の中に受け入れなければならないという意味ではない。その情報量に今もまだ余裕がないなら、友情とフォローの設定は、ずっと別々のままでかまわないし、たいていの人はそこに何も読み取らない。フォロー解除は、どちら方向に読んでも、本当に知りたかった問いには答えてくれない。もともとそれほどの重さを持っていない。その友情がまだそこにあるかどうかは、ずっと手元で止めていたそのメッセージでしか分からない。八か月前に自分が何を押したかを調べ直すことでは、分からない。