自分で事業を始めると、友人関係はなぜ変わってしまうのか
以前は、すぐ返事が来る人だった。今はメッセージが三日ほったらかしになり、ようやく開いて返すときも短く上の空で、それも取引先からの連絡を待つ合間についでに打ったものだったりする。誰も悪いことはしていないし、一年前より友人への気持ちが薄れたわけでもない。それでも、自分の事業を始めるということは、生活全体をここまで根こそぎ組み替えてしまうもので、友人関係が静かにその犠牲になっていく。そしてこの部分は、事前にほとんど誰も教えてくれない。
「忙しいから」だけでは説明がつかない
「とにかく忙しくて」というのは、多くの人がまず口にする説明で、間違ってはいないが、それだけでは足りない。忙しい時期を過ごしても、これほどの傷を残さずに終わることはいくらでもあるからだ。起業が違うのは労働時間の長さではなく、三つのことが同時に起きる点にある。一つひとつなら耐えられるはずのものが、重なることで話が変わってくる。
実際に起きていること
一日の輪郭が消える
会社員の仕事は、どれほど忙しくてもだいたい形がある。始まりと終わりがあり、仕事以外の自分がいつ出てきていいかが、おおよそわかる。自分の事業にはその形がない。いつでもまだ返していないメールがあり、確認すべき数字があり、自分にしか消せない火があり、「今日はもう終わり」という場所が実質的に存在しなくなる。決まったリズムの上に成り立っていた友情——毎週火曜の一杯、日曜の電話——は、その居場所をそのまま失う。大事に思わなくなったからではなく、一週間のどこにも、それが入り込める固定の隙間がもうないからだ。
事業の話しか、語ることがなくなる
起業した人に近況を尋ねると、返ってくるのは事業の報告であることが多い。これは自慢したいからではなく、今の生活の大半が、実際にそこで占められているからだ。そしてそれが、以前なら話していたはずのこと——読んだ本、観ていた番組、共通の知人、たいして意味のない雑談——を押しのけていく。かつては幅広かった会話が一つの話題に絞られ、事業に関わっていない友人は、近況を聞いているというより、報告会に呼ばれているような感覚を持つことがある。
友人が、頼んでもいない「観客」になっていく
あなたを大切に思う人は近況を知りたがるが、事業の近況には奇妙な性質がある。良い知らせはお祝いを、悪い知らせは心配を呼び、そのどちらも、実際のほとんどの週が持っている「特に何もなかった」という平凡な事実の居場所を残してくれない。だから、心から感じてはいない自信を演じるか、あるいは何も話さなくなるかのどちらかを選ぶことになる。実際の、地味で、不安の混じった中間の状態を説明するのは、そのどちらよりも骨が折れるからだ。どちらを選んだとしても、日々本当につらい部分は、いちばん近くにいる人たちからますます見えなくなっていく。まさに、その人たちを必要としているそのときに。
周りに、まったく同じ苦労をしている人がいない
給料をもらい、上司がいる友人も、あなたに同情することはできる。それでも、「これは本当にうまくいくのか」「とんでもない間違いをしでかしたのではないか」「うまくいかなかったら貯金はどうなるのか」——こうした特有の消耗は、その種のリスクを背負ったことがない人には、どこか違う響き方をする。その隔たりを感じているのは、勘違いではない。実在するものであり、心から自分を思ってくれる人たちに囲まれていても、どこか一人だけ違う場所にいるような感覚を残すことがある。そしてその感覚こそが、次第に何も言わなくなる静かな理由になっていく。
実際に効くこと
事業の話をしないと決めた関係を、一つは残しておく。意志の強さの問題ではない。事業を回している人間ではなく、ただの自分でいられる場所が、少なくとも一つは必要だからだ。決まった時間のコーヒー、毎週の電話——何でもいいので、調子の悪い月があっても一からやり直さずに済むくらいの繰り返しがあるといい。
見出しではなく、実際の状態を話す。「順調だよ」も「もうだめだ」も、たいていはその週の単純化にすぎない。実際には特に何もなかった日々の中に、つらい午後が一度あっただけ、ということが多い。友人は、そのどちらの極端よりも正直な話を受け止められるし、正直な話のほうが、演技を続けるよりも長く語り続けられる。
一人の友人だけを、唯一の吐き出し口にしない。いちばん都合よく捕まる相手にばかり頼りたくなるが、事業のストレスを処理する場所がその一人だけになると、その関係はお互いにとってどんどん重くなっていく。周りに他の起業家がいるなら、その負担のいくらかは、本来そちらに預けてもいいものだ。
会わなくなった人より、思い出さなくなった人に気づく
本当に危ういのは、罪悪感を覚えている相手ではない。そういう相手は、まだ頭のどこかに残っている。危ういのは、今の圧縮された一週間の中に、思い出すきっかけが一つもなくなってしまった相手だ。今すぐには空けられない夜を待たずに、短い一言を送ってみる——それだけで、思っている以上のことが伝わる。
正直な補足
この時期を越えられない友情も、実際にある。それは、あなたが何か間違えたということではない。共有していたのが「空いている時間」だけで、その下に何もなかった友情は、空いている時間そのものがなくなった生活の前では、どうしても分が悪くなる。意識して守る価値があるのは、失ったら本当に寂しいと思える相手だけであり、その数はたいてい、今この瞬間の罪悪感が心配させてくる数よりもずっと少ない。だからこそ、実際に続けていくのは、思っているより難しくない。