友人が亡くなったあと、電話帳の連絡先は消すべきか
彼の名前は、まだ電話帳の中にある。誰か別の人にメッセージを打っているときに、予測変換でふっと出てくる。もう誰も発言しなくなったグループの中に、名前とアイコンだけがそのまま残っている。そして年に一度、頼んでもいないのに、まるで何ごともなかったかのように誕生日通知が届く。友人を亡くしたあとにいちばん扱いに困るのが、葬儀でも、家族への電話でもなく、電話帳の中の一行だという話は、誰も先に教えてくれない。それを消すことは、片付けというより、自分にその資格があるのかどうかもわからないまま下す決断のように感じられる。
この連絡先だけが、他の「片付け」と違う理由
誰かが亡くなったあとに片付けなければならないことの大半は、最終的には自分以外の誰か、あるいは時間が代わりに片をつけてくれる。アカウントは家族が解約する。サブスクは自然に切れる。郵便物もいずれ届かなくなる。電話帳の連絡先だけはそれが当てはまらない。それは自分がそこに置いたから存在していて、期限もなく、自分の手で消さない限りずっと残り続ける。だからこそ、それを消すことは引き出しの中を整理するのとはわけが違う。意図するかどうかに関わらず、それは「この人はもう電話をかけられる相手ではない」と、自分の指先で決めてしまう行為のように映る。悲しみのプロセスの中で、これほどはっきりとボタンを押す形を取るものは、ほかにあまりない。
「正しい期間」というものは存在しない
この問いを立てる人は、どこかに答えがあるはずだと思っている。マナーとしての決まりごとや、一般的な目安、「もう消していい」という合図のようなものが。だがそれは存在しない。見つからないのは、探し方が悪いからではない。悲しみに決まった進行表がない以上、電話帳にもそんなものがある理由はない。一週間で消す人は、十年残しておく人より冷たいわけではないし、一度も消さない人が、前に進めていないわけでもない。それはただ、同じ事実と付き合うための、二つのやり方でしかない。
実際にみんなどうしているか
- そのまま残しておく。多くの人にとって、これは迷っているのではなく、それ自体が答えになっている。その連絡先は、かつて実際につながっていた回線があったという証拠であり、残しておいたからといって毎日それを見るわけではない。ほとんどの月は、目に入りさえしない。
- 消さずに、視界の外に置く。名前の後ろに「(故人)」と足したり、メインのリストから別のグループに移したりする。そうすれば予測変換に不意打ちされることもなくなり、まだ準備ができていない最終判断を今すぐ下さなくてもよくなる。
- 具体的な区切りに合わせて消す。「そろそろ十分な時間が経ったから」という基準は、結局いつまでも訪れない。それよりも、彼のいない最初の誕生日を過ぎたとき、引っ越しをしたとき、ある年からようやく何かが違って感じられ始めたときなど、実際に起きた出来事に合わせるほうがいい。期間ではなく出来事に合わせて消すほうが、恣意的にも、見捨てるようにも感じにくい。
誕生日通知という、特に厄介な問題
これはほとんどの人が予想していない部分だ。スマートフォンやカレンダーの誕生日通知は、連絡先の情報をもとに機械的に動き続けていて、その連絡先が自分にとって今どれくらいの重みを持っているかとは関係なく、決まったタイミングでやってくる。不意打ちのように感じたとしても、それはカレンダーがわざと意地悪しているわけではなく、そもそもそういう違いを判断できるようには作られていないだけだ。対処のしかたは二つある。通知が来たら、それを義務ではなく、一分だけ彼のことを思い出すきっかけとして受け取ること。あるいは、その日付を自動で表示されるカレンダーから外し、自分だけが見られるメモに移しておくこと。そうすれば、相手のタイミングではなく、自分のタイミングで思い出せるようになる。
連絡先を残すことは、何をしていることにもならない
正直に言っておく価値がある。連絡先カードに入っているのは、名前と電話番号だけで、実際にはそれ以上の意味を持たせようとしても持たせきれない。その友人をその人たらしめていたものは、もともとそこには保存されていなかったし、消したところでそれが失われるわけでもなければ、残したところで保存されるわけでもない。人を本当の意味でこの世に留めておくのは、もっと小さくて、電話帳とは関係のないことだ。彼にしかできなかった具体的なエピソードを、彼を知らない誰かに話すこと。ふと気づくと彼の口癖をそのまま使っている自分に気づくこと。「知り合いが昔よく言っていたんだけど」とぼかさずに、名前をそのまま口にすること。人を前へと運んでいくのは、こうしたことであって、電話帳のカードは、残しておいても消しても、そもそもその役目を担ったことは一度もない。
正直な補足
ここに書いたことは、あなたの場合に何が正しいかを教えてはくれない。万人に通用する答えなど最初から存在せず、あるのはただ、それを探し続けなくていいという許可だけだ。今それを消すことが、まだ手放す準備のできていない何かを消し去るように感じるなら、消さなくていい。それを見るたびに、せっかく少し軽く抱えられるようになってきたはずのものが、また開いてしまうというなら、消すことは彼をどれだけ大切に思っていたかへの裏切りにはならない。どちらを選んでも、それはアプリの中のただの設定でしかなく、もともと、どれだけ愛していたかを測るものではなかった。