ホーム / 関係のガイド

片方に子どもができて、もう片方にはいない——友情はどう続けるか

どちらかが子どもを持ち、あるいは小さな子どもを育てていて、もう一方はそうではない。友情は終わらないけれど、何かが変わる。約束は立てにくくなり、気軽なメッセージのやりとりは減り、どちらが多く連絡しているかを、お互いなんとなく数え始める。どちらも悪いことはしていない。これはよくある、具体的な隙間で、努力を増やすことより、約束の形を変えることのほうが効く。

なぜこれが他の人生の変化より友情をすり減らすのか

引っ越しや転職など、友情を薄くする他の変化は、一人のスケジュールに起きる。子どもができることも同じだが、それに加えて、多くの友情が静かに頼っていたものを一つ奪う——直前でも「うん」と言える自由だ。小さな子どもを持つ親は、「今夜飲みに行こう」や「今日の午後、山に行こう」に簡単には頷けない。すべての予定は今、子どもの寝る時間や預け先、その日がどれだけ大変だったかを乗り越えなければならず、キャンセルの理由は、あなたに会いたいかどうかとは、ほとんど関係がない。

子どものいない側は、そのキャンセルを一つのサインとして受け取りやすい。他の誰かがキャンセルするときは、普通そういう意味だからだ。でもここでは、たいていそうではない。意味しているのは、その日がうまくいかなかったということだけで、これはお互いが望むよりずっと頻繁に起きる。

たいていどこでつまずくか

口にしないまま、心の中で帳簿をつける

子育て中の側は、二回続けて予定を変えたことで、自分がだめな友人のように感じ始める。子どものいない側は、自分が後回しにされているように感じ始める。どちらの感じ方も理解はできるが、たいてい的外れでもある。だが二人ともそれを口に出さなければ、残るのはお互いに対して、静かに証拠を積み上げている二人だけになる。

「以前の関係」が戻ってくるのを待つ

今の時期を、いずれ「元通り」になる前の一時停止として扱い、きちんと邪魔の入らない夜が来るまで会うのを控えたくなる。でもその夜はなかなか来ない。小さな子どもは、どちらの都合にも合わせてスケジュールを空けてはくれないからだ。それを待っているうちに、会話のないまま何年も過ぎてしまう。

友情か言い訳か、選ばせてしまう

「なんでもう予定をちゃんと決められないの」という一言は、すでに手一杯になっている友人を、今いる場所で受け止めてもらうのではなく、自分の生活を説明し、弁護する立場に追い込んでしまう。

実際に助けになること

親密さではなく、形を変える。三時間のディナーで成り立っていた友情も、ベビーカーを押しながらの二十分の散歩、昼寝の間の電話、あるいは相手を呼び出す代わりに自分から出向くことで成り立つ。これはどれも「格下げ版」の友情ではない。同じ友情が、相手の今の生活に合う形に変わっただけだ。

まず、低コストな誘い方をする。大きな予定を提案して現実に耐えられるよう祈るのではなく、受けるのにもキャンセルするのにもほとんど負担がかからないものを差し出す。「無理しなくていいけど、四時頃そっちの近くにいるから、良かったら」。これなら断ることに罪悪感が伴わず、受けることも簡単になる。

時間に余裕がある側が、しばらく段取りを多めに引き受ける。これは不公平ではなく、単に実情に合っているだけだ。時間の融通が利くほうが、提案し、予定を変え、合わせやすい立場にいる。この状態はずっとは続かない。「前回誘ったのはどっちか」を数え続けることこそ、すでに張り詰めている友情をすり減らす帳簿のつけ方だ。

「関わっていたい」という気持ちを、はっきり言葉にする。相手の新しい生活の外側で待つのではなく、その一部でいたいなら、そう率直に伝えるべきで、誘われるのを期待するだけでは伝わらない。多くの新米の親は、子どものいない友人が、子育ての慌ただしさから距離を置きたがっていると思い込む。でも実際は、その逆であることが多い。

正直な但し書き

友情には、他の時期より静かになる季節が本当にある。それはどちらのせいでもない。生まれたばかりの子どもや、小さな子どもが三人いる友人には、しばらく本当に余裕がないこともあり、どれだけコミュニケーションを工夫しても、その事実そのものは変わらない。コミュニケーションが変えられるのは、その静けさが距離だと誤解されるかどうかだ。たいていは違う。それは、いつもより少ない睡眠で回っている友情が、いちばん大変な時期が過ぎたあとに、また落ち着くべき形を待っているだけなのだ。