なぜ友人との出会い方を思い出せないのか
一番仲のいい友人と、そもそもどうやって知り合ったのかを聞かれて、思わず言葉に詰まったことがある。飲み会だった気もする。誰かの紹介だったような気もする。記憶を手繰り寄せようとしても、そこには何もない。あるのは「この人とは友人だ」というすでに確立した事実だけで、その手前にあったはずの始まりがどこにも見当たらない。これだけ大事な相手なのに、と考えると、この空白は少し奇妙に感じられる。
記憶が残すのは「感触」であって「記録」ではない
記憶には、別々に保存される二つの種類がある。何が起きたか、という内容の記憶と、それがいつ、どこで、どういう経緯で起きたか、という出所の記憶だ。内容の記憶は頑丈にできている——この人が好きだということ、この人といると笑えるということ、何かあったら真っ先に連絡したい相手だということ、それらはどれも揺るがない確信として残る。一方で出所の記憶ははるかに壊れやすく、内容そのものが薄れ始めるよりずっと前に、先に消えていくことが多い。
これは友情に限った話ではない。ある雑学が正しいと確信していても、誰から聞いたかは思い出せない。ある冗談のオチだけは覚えていても、それを誰が話していたテーブルだったかは思い出せない。仕組みは同じだ。脳は「これは本当か、自分はどう感じているか」という部分は優先して守るが、内容がいったん取り込まれてしまえば、「具体的にどこから来た情報か」は手放してもいいものとして扱うらしい。長く続いている友情は、この仕組みの極端な例にすぎない。出会って以来、その関係は何百回となく上書きされ確認され続けてきていて、今その人について本当に知っていることにとって、最初に会った瞬間よりも、そのあとの積み重ねのほうがずっと重みを持っているのだ。
出会った瞬間は、その場では特に重要視されていなかった
もうひとつの理由は、もっと単純で、ある意味では安心できるものだ。実際に出会ったその瞬間、相手はまだ「親友」ではなかった。飲み会にいた誰か、クラスメート、同僚が連れてきた知人——その週にあった何十もの取るに足らないやり取りのひとつにすぎなかった。記憶は、目の前の見知らぬ人がのちに大事な存在になるかどうかを、あらかじめ知ることはできない。だから最初の出会いに特別な重みを与えることはない。あとになってから、この関係は残す価値があると判断される——たいていの場合、その頃にはもう出会った瞬間そのものは失われている。
逆に考えてみるとわかりやすい。もし出会った日を鮮明に覚えているとしたら、それはその友情が最初から何か劇的な合図とともに始まったということになる。だが、実際に長く続く友情の多くは、そういう始まり方をしない。積み重ねが少しずつ蓄積し、ある日ふと、この人はもう欠かせない存在になっていたと気づく——そういう育ち方をする。「どうやって出会ったか」という部分が空白になっているのは、思いやりが足りなかった証拠ではない。むしろ、無理なく自然に育った友情が、内側から見るとどう見えるかという、ただそれだけのことだ。
記憶違いをしているのはおそらく自分だけではない
これを知っておくと少し楽になる。同じ質問をその友人本人にぶつけても、きれいに答えられないことが多い。それどころか、お互いに自信を持って、まったく違う二つの話を語ってしまうことさえある。それぞれが、その日たまたま自分の意識に残った細部をもとに記憶を組み立てているからだ。それは片方が不注意だったということではない。同じ場に居合わせた二人は、そのときすでにそれぞれ別々の記憶を作っていて、自分が何に注意を向けていたかによって内容が変わる。どちらの版がより「本当」ということもない。
残しておきたいものは、一行だけ書いておく
だからといって、知り合った全員について出会いの経緯を追いかける必要があるわけではない。ほとんどは失われても問題ない。ただ、ただの知人だった誰かが違う存在に変わりつつあると感じる瞬間——自分から誘うようになった、ふとした拍子にその人のことを思い出す、そういう瞬間があれば、そこでどこかに一行だけ残しておく価値がある。だいたいいつ、だいたいどんな経緯で、誰かの紹介があったならその人の名前。かかる時間は一分もない。しかもこれは、友情の中でその情報がまだ正確に取り出せる、ほぼ唯一のタイミングでもある。一年も経てば、どちらもそれを正確には組み立てられなくなっているからだ。
これは出会った人全員の記録を作ろうという話ではない。ある関係が静かに種類を変えた瞬間に一度だけ気づき、他の出会いと同じようにいずれ消えていく前に、その気づきをどこかに置いておく、という程度のことだ。
正直な但し書き
何も書き留めなかったとしても、その友情が本当に失うものは何もない。出会いの物語はあれば嬉しいものではあるが、関係を支える構造そのものではない。誰にとっても一番親しい友人の中には、「どうやって出会ったか」がもう何年も「よく覚えていないけど、たしか……」という曖昧な一言に縮んでしまっている相手が、当たり前のようにいるはずだ。友情を実際に支えているのは、出会ったあとに積み重なってきたすべてであって、一番最初のページが失われたかどうかとは、何の関係もない。