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フリーランスになると、なぜ友人関係が変わってしまうのか

会社を辞めた理由は、どれも十分に納得のいくものだった。通勤、上司、この先も上がりそうにない給料の天井、自分の一番いい時間が誰か別の人のスケジュールのために使われている感覚。一年経ってみると、仕事そのものはおおむね悪くない。人を戸惑わせるのは、もっと小さくて奇妙なことだ——ある平日、クライアント以外とほとんど誰とも話さないまま一日が終わることがある。しかも、それを引き起こした決断がどれなのか、一つも指させない。誰かと疎遠になったわけではない。ただ、気づけば人に囲まれていない状態になっていた、というだけだ。

会社が実際にやってくれていたこと

会社の社会的な価値とは、そこで本当に気の合った数人のことだと考えがちで、その人たちとは今も連絡を取っているのだから、辞めても何も失っていないはずだ、と結論づけたくなる。しかしそれは、実際に起きていたことを過小評価している。会社という場所は、誰も予定を組む必要のない、ごく些細な社会的接触を大量に発生させていた——廊下でのひとことの愚痴、同じ会議への給湯室での不満の言い合い、疲れて見える顔に気づいた誰かが理由を尋ねてくること。そのどれもが「本物の会話」ではなかったが、そのどれもが実際に働いていた——何気ない一日の中で、他人のそばにいるという習慣を、誰にも負担をかけずに保たせてくれていたのだ。

フリーランスになっても、友人はいなくならない。なくなるのは、自分で計画した予定と予定のあいだを、小さく無料で埋めてくれていたあの仕組みのほうだ。そして、小さく頻繁な接触というものは、人が思っている以上に「つながっている感覚」の本体に近い。それは本物の会話の劣化版なのではなく、たいていの場合、本物の会話はそこから育ってくるものなのだ。

具体的に失われる三つのこと

1. そばに誰もいないので、何も気づいてもらえない

以前ならひどい会議のあと、部屋の向こうにいる誰かと目が合うだけで、説明しなくても伝わった。今は、請求書を無視され続けているクライアントのことも、流れてしまったプロジェクトのことも、単純に今日は本当に調子がよかったことも、自分から話さなければ誰にも伝わらない。しかも、いいことを自分から話すのはどこか自慢のように感じられ、悪いことを話すのは誰もいない場所に向かって愚痴っているような気になる。結果として、多くのことが口に出されないまま終わる。話す相手がいないからではなく、「話す」という行為そのものが、以前は無料だったのに、今はわざわざ物語として語り直す作業になってしまったからだ。

2. 自分の空き時間が、誰の空き時間とも合わなくなる

友人の多くは、今も形のあるスケジュールの中で働いている——決まった昼休み、たいてい空いている夜、週末。フリーランスの時間には、デフォルトでそういう形がない。クライアントの仕事の合間に残ったものが全てで、それは火曜の午後かもしれないし、夜の十一時の追い込みかもしれない。友人が実際に空いている時間帯と一致することは、めったにない。以前は二つのスケジュールが自然と重なっていた。今は、重ねるためにわざわざ調整が必要で、その「わざわざ調整する」という一歩こそ、細っていく友情がいちばん出しにくいものだ。

3. 「仕事どう?」が共通言語ではなくなる

会社員の友人には、自分の一週間を語るための馴染みの略語がある——上司、チーム、みんなが知っている面倒な手続き。フリーランスの生活を説明しようとすると、たいてい会話に収まりきらないほど長くなる。どのクライアントか、どの案件か、今月はうまくいっているのかどうか、一言ではまとめにくい。だんだん話題に出さなくなる人も多く、日常のかなりの部分が、友人には静かに見えなくなっていく。

会社員の友人が、この変化に気づきにくい理由

外から見ると、フリーランスはより自由な生き方に見える。そしてある意味では、実際にそうだ。だからこそ、この孤独感は口に出しにくい。自分で選んで、後悔もしていない生き方について、恩知らずに聞こえずに愚痴るのは難しい。「人がそばにいてほしい」と言うのは、「自分でスケジュールを決められていいね」と言われた直後だと、妙に浮いて聞こえる。でも実際にはこの二つは同時に成り立っていて、どちらもどちらを打ち消さない。結果として、多くのフリーランスはこれを静かに抱え込んで、口には出さない。そしてそれが、本当の問題——自由が減ったのではなく、日常的な人との接触が減ったのだということ——を、周りの誰にも見えにくく、助けにくくしてしまう。

実際に助けになること

もう偶然には起きないと分かった上で、意図的にその接触を作り直す。同じように一人で働いている誰かと定期的にコーヒーを飲む、週に一度コワーキングスペースに行く、似た境遇の人たちとグループチャットを作る——大げさである必要はなく、目的は生産性でもない。目的は、以前オフィスがやってくれていたのと同じ、気負わない形で、誰かをそばに置くことだ。

小さな出来事を、その日のうちに、誰かに話す。本能的には、まとめてしっかりした近況報告にしてから話そうとする。しかしその本能こそが、友情を静かに痩せさせる原因だ。しっかりした近況報告の機会は結局訪れず、小さな出来事は一つも語られないまま終わる。良いことでも悪いことでも、起きたその日のうちに一言送る——「一番聞いてもらうべき人」に取っておくのではなく、そのとき頭に浮かんだ誰かに送る——ことのほうが、三週間後に語る長くて完璧な話より、ずっと親密さを保つ役に立つ。

誰かの実際のスケジュールと噛み合う、決まった時間を一つ守る。「もっと会うようにしよう」という漠然とした意図ではなく、木曜の夜、日曜の電話といった、具体的で繰り返される一つの枠を作る。話すことがあってもなくても、それは行われる。不規則な生活の中でも続く友情には、たいてい、毎回交渉し直す必要のない固定点が、少なくとも一つある。

聞こえ方を気にするより、本当のことを言う。フリーランスを選んだことを弁護しながら、同時に、日中に人がそばにいてほしいと認めることは、両立できないことではない。この二つは同じ一文の中で両方とも真実であっていい。実際に率直に口にしてみると、たいていの友人からは、非難よりもむしろ「わかる」という反応が返ってくる。

正直に言うと

フリーランスが奪っていくものの中には、そもそもそれほど価値のなかったものも含まれている——オフィスでの社会的接触の少なくない部分は、単なる埋め草であって、本物のつながりではなく、それを失うことが自動的に損失になるとは限らない。真剣に受け止める価値があるのは、もっと狭い範囲の話だ。以前は「同じ場所にいること」で自然と保たれていた友情が、今は両方が意図的にそれを選び直さなければならなくなり、しかも自動的に予定に組み込まれることはもうない。これは実質的なコストであり、聞こえるほど大がかりな努力がなくても補える。オフィスに戻ることによってではなく、あの自動的な接触があった場所に、意図的で小さな接点をいくつか置き直すことによって。