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なぜ「みんなの相談相手」でいると孤独になるのか

夜の十一時、何かあったとき最初に連絡が来るのはいつも自分だ。失恋、検査結果、家族との言い争い、仕事での厳しい評価。そういう話はまず自分のところに来て、そして自分はそれをちゃんと受け止められる。適切な質問をして、すぐに解決策を出そうとせず、相手が話し終えるまでそばにいる。電話を切ったあと、相手は少し軽くなった気持ちで自分の生活に戻っていく。そこでふと、理屈では説明しづらい感覚に気づく。周りには自分を信頼してくれる人がたくさんいるのに、なぜか妙に孤独だ。この感覚は恩知らずでもなければ、自分のどこかがおかしいわけでもない。接触が長いあいだ一方向にしか流れていないとき、実際に何が起きるのかを、かなり正確に言い当てている感覚だ。

信頼されていることと、知られていることは別物

この二つは同じことのように扱われがちだが、実際はまったく違う。信頼されているというのは、相手が話したことを大切に扱ってくれると信じてもらえている状態で、それは一度きりの偶然ではなく、会話を重ねるたびに積み上げてきた本物のものだ。知られているというのは、相手のほうも同じくらいの量の情報を、自分について持っている状態を指す。今月本当に気がかりなこと、うまくいかなかったこと、まだ誰にも話していないこと。ひとつの関係の中に、前者だけが大量にあって後者がほとんどない、ということは十分に起こりうる。それでも外から見ると近しい関係にしか見えない。そこには本物の弱さの開示があり、本物の信頼があり、本物の深夜の電話があるからだ。ただ、その弱さが、関係の片側からしか流れていないだけなのだ。

その役割は、誰かが決めたわけではなく静かに出来上がる

誰かがある日座って「あなたが相談役です」と決めたわけではない。いくつかのささやかな、むしろ嬉しくなるような瞬間が積み重なってできあがる。もともと動じない性格だったり、言葉を選ぶのがうまかったり、あるいはたまたま誰かが話したがっていた夜に時間があった、というだけのことで、そしてその一回がうまくいく。相手は楽になり、そのことを覚えている。次に何か大変なことが起きたとき、真っ先に頭に浮かぶのは自分の名前で、その次もまた自分になる。やがてそれは一度きりの出来事ではなく、ひとつの評判に変わる。「あの人はこういうことが得意な人」という評判だ。こうした評判は公平さとは関係なく自己強化していく。危機のときに頼りになるという性質こそが、より多くの危機を任される理由になってしまう。

ただ疲れるのではなく、孤独になる理由

疲労はいちばん分かりやすい部分で、それは確かに本物だが、話はそれだけでは終わらない。もっと静かに、二つのことが同時に起きている。

連絡が悪い知らせと結びついてしまう。何かあったときに連絡される役割になると、構造上「何かあること」自体が連絡の理由になる。誰も、専属の相談相手にわざわざ連絡して「今日は特に何もなかった」とは言わない。その結果、奇妙なことが起きる。相手のいちばん大変な瞬間ばかりを聞くことになり、良い知らせや何でもない日常はほとんど届かなくなる。関係そのものが、相手の生活のいちばん端っこにだけ存在しているような感覚になっていく。

自分のことを話さなくなっていく。自分が「落ち着いている側」だと気づくと、自分の大変だった一週間を口にすることが、誰か本物の危機のための場所を奪っているように感じられてくる。そうして、「それより、その話もっと聞かせて」という切り返しが上手になっていく。その瞬間は優しい振る舞いのように感じる。だがこれを繰り返していると、もっと気づきにくいことが起きる。相手はだんだん自分のことを聞いてこなくなる。それは関心がなくなったからではなく、この関係が一方通行だということを、知らないうちに二人でそう教え込んでしまったからだ。その静けさは無関心ではなく、二人でいつのまにか作ってしまった習慣にすぎない。

実際に効くこと

これは「もっと聞き役をやめよう」という話ではないし、「誰が誰のことをどれだけ聞いたか」を数え始めようという話でもない。そんな枠組みに変えてしまうと、本物のうっすらとした痛みが、また別の演技に変わるだけだ。実際にバランスを動かすのは、それよりずっと小さく、ずっと地味なことだ。

まだ解決していない小さなことを口にする

危機と呼べるほどの重い話でなくていい。「落ち着いている側」であることに慣れた関係に、そんなものを持ち込むのは重すぎると感じてしまうかもしれない。だからこそ、ごく普通の、まだ形になっていない話でいい。「最近仕事がちょっとうまくいってなくて、正直どうしたらいいか分からない」と、アドバイスを求めずに口にするだけでいい。それは相手に、自分のために何かできる場所を用意することになる。ほとんどの人は、その扉が開かれてさえいれば、喜んでそこに入ってくる。

すでに双方向になっている関係に気づく

自分の関係のすべてが一方通行というわけではない。ただ、いちばん多くを求めてくる相手がいちばん声が大きいせいで、注意がそちらにばかり向いているだけということもある。すでに「最近どう?」と聞いてきて、ちゃんと答えを待ってくれる関係があるなら、そこには積極的に手をかける価値がある。そこはすでに、他のどこにも足りていないものを静かに満たしてくれている場所だ。

「今夜は無理」をそのまま完結した返事にする

自分の余力を少し守ることは、頼ってくる相手への裏切りにはならない。いちばん大変な瞬間にしか自分を見つけられない友人は、たまに「今はその余力がない」と言われたからといって、受け取るものが減るわけではない。むしろ、五年後にもまだそこにいられる、続けられる形の自分を受け取ることになる。

正直な補足

人から頼りにされることは、謝るようなことではないし、頼ってくる人たちのほとんども自分勝手なわけではない。彼らが自分のところに来るのは、話しても本当に安全だと感じているからであって、当たり前だと思っているからではない。だからこれは、聞き役として下手になろうという話ではない。ただ、ひとつの種類の瞬間だけで、しかも一方向にしか流れない関係は、いずれ受け止め続けている側にとって薄いものに感じられてしまう、ということを思い出しておきたいだけだ。受け止められている側は、ずっと近しさを感じ続けているとしてもだ。直す方法が劇的であることはめったにない。たいていは、これまでずっと言わずにきた何でもない一言を、ようやく口に出してみることだ。