自衛官の配偶者になると、友人関係がどう変わってしまうのか
駐屯地の家族会や、官舎近くの集まりで知り合った相手と、数ヶ月でなんでも話せる仲になる。そして異動の内示が出て、どちらかがまた荷物をまとめることになる。この友情はそこで形を変えるか、終わるかのどちらかだ。誰が悪いわけでもない。それは、最初に言葉にしなかっただけで、出会った瞬間からすでにそういう前提の関係だったからだ。
出会った時点で、終わりの時期がだいたい見えている
たいていの友情には、口に出さない前提がある。人も、場所も、日々の暮らしも、しばらくは変わらずそこにある。だから急ぐ必要がない。ゆっくり信頼を積んでいけるのは、来週もこの人にまた会えるとどこかで思えているからだ。転勤と派遣が前提の暮らしは、友情が始まる前からその前提を持てない。駐屯地にいる人はみな異動を前提にそこにいて、最初の会話のうちに、だいたいどれくらいの期間そこにいるのか、お互いなんとなく見当がついてしまう。この友情は「いつか終わるかもしれない」段階にとどまらない。出会った日からすでに、大まかな期限が見えていて、その期限は二人とも心のどこかで意識している。
これが変えるのは、別れ方だけではなく、友情そのものの育ち方だ。期限のない友情は、しばらく気楽なままにしておいて、それが何になっていくかをゆっくり見ていられる。二年という時計がついた友情は、その速さについていくか、浅いままで終わるかのどちらかしかない。ゆっくり育てて、そのうち何かになるという選択肢自体が、最初から用意されていない。
この時計に対する、二つの向き合い方
一気に距離を縮める
これは駐屯地の暮らしでよく言われる「出会ってすぐ親友」という現象で、性格の問題ではなく、実際の制約に対するかなり合理的な反応だ。一年か二年しかないと分かっているなら、この人が「深く付き合うに値するか」を様子見している時間そのものが、そもそも持てない贅沢になる。だから普通の友情なら時間をかけて積み上げるはずの過程を、数回の正直な会話に圧縮する。そしてこの方法は、思っている以上にうまくいく。この速さは浅さの表れではなく、二人とも時計が動いていることを分かっているときの「親密さ」の、実際の姿だ。
あえて距離を残しておく
もう一つの反応はもっと静かで、一見冷たく見えるが、たいていはそうではない。二度目、三度目の転勤を経験し、大事だった友情が終わって傷ついた経験を重ねると、新しく知り合う人に対して、決めたわけでもないのに少し距離を置くようになる人がいる。友達がほしくなくなったわけではない。これほど短い周期でまた全力で関わることには代償があり、その代償を、別れが来るたびに思い出させられるからだ。この距離の取り方は確かに効く――次の別れは少し軽くなる――が、その分、赴任先での暮らし全体が寂しくなりやすい。この取引について、口に出して話す人はあまりいない。
それより前からの友人は、どうなっていくのか
この暮らしが始まる前からの友人は、まったく違う時間の流れで生きていて、そのずれ自体が静かな問題になる。地元の友人は、半年以上先の予定を、みんながまだそこにいる前提で組んでいるかもしれない。こちらは訓練や当直のスケジュールに合わせて動くしかなく、それは数日前に変わることもある。派遣の期間も、こちらの都合とは関係なく決まる。時差ではなく、生活のリズムそのものが噛み合わない。友情がどちらかにとって大事でなくなったわけではなく、片方は民間の時間で暮らし、もう片方はそうではない。そしてその違いを、誰も説明してくれたわけではない。
その下に、もう一つのずれがある。転勤、長い別居、配偶者が数ヶ月単位でいなくなること――これはまったく経験したことのない友人には、本当のところなかなか伝わらない。実際の重さをそのまま話すと、善意で聞いてくれている友人に、受け止めきれない重さを渡してしまうことにもなりかねない。だから多くの配偶者は、近況を短く、明るめに伝える習慣を身につけていく。友人が気にかけてくれないからではなく、本当の重さをそのまま渡すことが、頼んでもいない荷物を押しつけるように感じられるからだ。友情は少し薄められた事実の上で保たれ、何かが省かれていることは、たぶんお互いに気づいている。ただ、誰もそれを言葉にしない。
実際に助けになること
その友情を、あった長さのまま認める。 ある任地で一年半続いて、転勤で終わった友情は、「本物になりきれなかった」友情ではない。それは、続いた期間が短かっただけの、本物の友情だった。それを格下として扱うことは、次の別れを「最初から本物ではなかった証拠」のように感じさせてしまうが、実際はそうではない。
「続くかどうか」を確かめてから関わろうとしない。 一、二年しかない中で、相手が深く付き合うに値するか様子見していると、たいていその任地のほとんどを一人で過ごすことになる。あとになって「あそこに行けてよかった」と思える人は、様子見していた側にはあまりいない。
記憶だけに頼らない、軽い記録を持っておく。 任地を重ねるほど、ある派遣の間ずっと支えてくれた人と、その前の官舎の隣人が、記憶の中で混ざってくる。気にかけていないからではなく、それだけ入れ替わりの多い暮らしだからだ。「この人がどういう人だったか」を一行だけ書き留めておくことが、この入れ替わりの速さの中で、本当に残したい関係を守ってくれる。
地元の友人には、大きな予定より、手間のかからない小さな連絡を。 写真一枚、十数秒の音声、「これ見て、あなたのこと思い出した」の一言は、ほとんど負担なく送れて、当直のスケジュールも時差も気にしなくていい。両方の予定がちゃんと空く、落ち着いた通話の機会を待っていると、それは何ヶ月も来ないことが多く、その間に友情のほうが静かになっていく。
正直な但し書き
ここまで書いたことは、代償そのものを消してはくれない。数年ごとに、しかも自分では決められないスケジュールで、本当に大事だった友情を残していくのは、この暮らしの中でも特に重い部分の一つで、見方を変えたところで痛みがなくなるわけではない。ただ、それは友人付き合いが下手だという証拠でもないし、最初から期限が決まっていたからといって、駐屯地で出会った人たちが本物の友人ではなかったということでもない。この暮らしの中で保たれている友情は、たいてい「ずっと同じ場所にいられる友情」の基準で測ることをやめて、その友情をそのままの形で受け入れた友情だ。