里親になると友人関係が変わるのはなぜか
友人が里親になった。しばらくの間、その家で何が起きているのか、こちらにはよく分からない。子どもの名前を知らされないこともあれば、知っていても外では言わないでほしいと頼まれていることもある。この子がどれくらいその家にいるのかも分からない――それは本人たちにも分からないことだからだ。そしてある日、その子は突然いなくなる。実の親のもとに戻ることもあれば、別の里親家庭に移ることもある。そのとき「おめでとう」と言うべきなのか、「大変だったね」と言うべきなのか、こちらには判断がつかない。里親になるという出来事が友情を変えていく形は、家族が増える他の出来事とはかなり違っている。使い慣れた言い方のほとんどが、ここでは通用しないからだ。
「子育ての大変版」ではなく、まったく別の出来事
出産も養子縁組も、最終的にはどこかで「これで確定した」という形に落ち着き、友人はその確定を軸に、相手の生活の新しい地図を描き直すことができる。里親には、その「落ち着く瞬間」がほとんど訪れない。委託は一本の電話から始まり、数時間後には子どもが家に来ていることさえある。妊娠期間もなければ、長いマッチングの過程もなく、本人を含めて誰にも準備をする時間がない。委託期間は週末だけのこともあれば、何年も続くこともある。この制度が本来目指しているのは、多くの場合、子どもが実の家族のもとに戻ることであり、つまり誰もが望むべきとされる結末こそが、その委託を終わらせる結末でもある。友人がすでに知っている「赤ちゃんが生まれた」という筋書きは、ここではまったく起動しない。筋書きが動かないぶん、友情を自動で支えてくれる仕組みも働かなくなる。
友情を同時に押し下げている二つのこと
秘密にするかどうかは、本人が選べることではない
里親の多くは、子どもと実の家族を守るための、れっきとした守秘義務を負っている。子どもの名前を公にしない、SNSに写真を載せない、なぜその子が保護されることになったのかを話さない。これは里親が友人を遠ざけたくてやっていることではない。この役割を引き受けるための、最初からの条件だ。それでも友人の側からすれば、相手の人生で起きている大きな出来事から締め出されているように感じられてしまう。しかも、いちばん詳しく聞きたくなるタイミングで、そう感じてしまう。
期限を知らないのは、友人だけではない
友人は普段、出産予定日や縁組手続きの完了日、賃貸契約の満了日といった締め切りを目印に、関わり方の間合いを取ることに慣れている。里親委託には、その目印がない。この子がクリスマスまでこの家にいるかどうか、里親本人にも答えられない。「あとどれくらいこの子といられるの」と正直に答えようとすれば、「分からない」と繰り返し言うしかなく、それを聞かされる側は、他に何を聞けばいいのか分からないまま、また同じ質問を重ねてしまう。
受け止め方の型がない喪失
委託が終わるとき――とりわけ、本来もっとも望ましい結末とされる「家族のもとへの復帰」というかたちで終わるとき――里親は、最初から深く思い入れすぎないようにと言われてきたはずの子どもを、本気で失って悲しんでいることが多い。ところが周囲のほとんどは、その別れを喪失ではなく、成功した話として受け取ってしまう。制度が本来目指していた通りに物事が進んだとき、そのことを悲しんでよいという許可は、ほとんど与えられない。だからその悲しみは、静かに、ひとりだけのものになっていく。まさにそのとき、里親がいちばん必要としているのは、「よかったね」に言い換えられることではなく、ただそばにいて、つらいという事実をそのまま認めてくれる誰かなのに。
友人がつまずきやすいところ
いちばん多いつまずきは、経緯そのものを尋ねてしまうことだ。なぜその子が保護されたのか、実の親が何をしたのか、親権が戻る可能性はあるのか。里親自身、答える立場にないことが多く、世間話として何度も蒸し返されたくもない。次に多いのは、「この子を養子にするの?」という質問だ。悪気なく聞かれることがほとんどだが、この質問は、この家族が今まさに抱えている不確かな現実を、「永続」という結末にたどり着いて初めて意味を持つ物語として扱ってしまっている。そしていちばん静かなつまずきは、子どもが去ったあと、友人が何も言わなくなることだ。触れていいのか分からず黙っていると、里親は、周りの誰にも起きたと認めてもらえない喪失を、一人で抱えることになる。
実際に助けになること
- どこまで話すかは本人に決めてもらい、そこから先を聞かない。詳しいことを知らされないのは、締め出されているのとは違う。多くの場合、それは本人にもどうにもできない部分だ。
- 先のことや経緯ではなく、今日のことを聞く。「今週はどう?」には答えられる。「この先ずっと一緒にいられそう?」には、たいてい答えられない。それを繰り返し尋ねることは、存在しない確かさを本人にせがむ、もう一人の相手になってしまうということだ。
- 委託が終わったときは、正しい反応を探り当ててから話しかけようとしない。「これがどんな意味を持つ出来事であっても、大変なことだというのは分かってる」という一言は、どんな結末にもだいたい当てはまる。家族のもとへの復帰を喜ぶべきかどうか、自分で判断しなくていい。
- 委託の間も、返信を求めない小さな連絡を続ける。何も期待しない一言は、ほとんど負担にならず、何を話していいか分からないという線引きに触れる必要もない。
正直な但し書き
ここに書いたことをすべて実践しても、消えない摩擦は残る。里親制度の一部は、そもそも公にしないことを前提に作られていて、その理由はこちらとは関係がなく、本人にも変えようがないからだ。それは、この友情がうまくいっていない証拠ではない。この状況を乗り越えていく友情は、たいてい経緯のすべてを知らされている友情ではない。今の状況が許す範囲がどれだけ狭くても、それでもそこに居続ける友情だ。