同窓会で旧友と連絡を取りたくなるのに、その気持ちがすぐ冷めてしまうのはなぜか
十一年ぶりに顔を合わせた相手と、体育館を借りたような会場で三時間話し込む。夜が更けるころには、今度こそ本当に違うという確信さえ持っている。もう知っている連絡先を、あらためて交換する。「今度こそ本当に連絡取り合おうね」と言い、そのときは本気でそう思っている。十日後、そのやり取りはまた静かになっていて、あの部屋で確かに感じていたはずのものが、どこに消えたのか分からなくなる。
あの場で感じた親しさそのものは、不思議なことではない
その温かさは演技ではない。まずいちばん単純な説明を外しておく価値がある。誰も嘘をついていたわけではない。同窓会は何年分もの共有された歴史を一晩に圧縮し、ほとんど努力のいらなかった頃の友情を、そのままの形で返してくれる。同じ冗談、同じ以心伝心、その人が今どんな人生を歩んでいても変わらない核の部分。これは大人になってから経験できることとしては、かなり珍しい部類に入る。いま付き合っている友人の多くは、そこまでの気安さにたどり着くまでに何か月もの意図的な努力が必要だった。同窓会はそれを、夕食一回分の時間で、ほとんどただで渡してくれる。だからこそ、あの高揚感は割に合わないほど大きく感じられる。
その勢いが、駐車場を出た瞬間に消えてしまう理由
正直なところ、あの夜を楽にしていたもののほとんどは、家までついてこない。同窓会は、意識すらしないほど自然に機能していた仕掛けを用意してくれていた。すでに同じ部屋にいるという状況、名前を説明しなくていい名札、話題を勝手に供給してくれる大勢の共通の知り合い。そして、おそらくいちばん効いていたのは「許可」だ。その場にいる全員が、今夜は思い出話をする夜だと暗黙に了解しているから、誰も昔の話を持ち出す理由を説明する必要がない。
その部屋を出た瞬間、これらの仕掛けは一斉に消える。連絡を取るには、何の後押しもない普通の火曜日に、自分一人で「この関係には手間をかける価値がある」と決めなければならない。まわりに、それをそっと後押ししてくれる部屋いっぱいの人はいない。これは、あの夜会話が成立していたときのハードルよりずっと高く、同窓会で約束した相手全員分クリアできる人はまずいない。せいぜい一人か二人だ。
あの約束は本物だった。ただ、向いている先が違っただけ
「今度こそ本当に連絡取り合おう」は、たいてい直前の一時間がどれほど楽しかったかを正直に映した言葉であって、来週お互いが実際に何をするかについては、ほとんど何も予測していない。あの気持ちを生んだのはあの部屋であって、計画ではない。そして計画の伴わない気持ちは、普段の生活との接触に耐えられないことが多い。離れた二つの街、噛み合わない二つのスケジュール、そして正直に言えば、体育の授業や同じ寮のフロアのような、次に自然と会える理由がもう存在しない関係。あの瞬間、誰も不誠実ではなかった。ただ、その約束の下には、約束そのもの以外、何もなかっただけだ。
実際に何かへとつながっていく場合に、共通していること
ちゃんと続いていく同窓会後のつながりには、地味だが具体的な共通点がある。
誰かが一日か二日以内に、まだ場の温かさが残っているうちにメッセージを送っている。それに代わるものがなければ、勢いは急速に冷めていく。四十八時間以内に送るメッセージは、あの会話を楽にしていたのと同じ勢いに乗っている。三週間後に送るメッセージは、すでにほとんど記憶に戻ってしまった関係を相手に、ゼロから始めることになる。
メッセージが友情全体ではなく、具体的な一点に触れている。「本当に会えてよかった」はいい言葉だが、行き止まりでもある。相手に返せることといえば、同じくらい丁寧な決まり文句しかないからだ。「ポルトガル旅行、ついに行くって言ってたね。着いたら教えて、どうだったか聞きたい」なら、具体的な日付と具体的な事柄について、相手が実際に拾える糸を渡せる。
その気持ちが実際にはどの一人か二人に向いているのか、自分に正直になる。同窓会はその場にいる全員に対して、本物の高揚感を生み出すが、その高揚感の強さは、どの関係を立て直す価値があるかを均等に教えてくれるわけではない。本当に価値のある一つか二つは、たいてい自分から現れる。終わっていいはずなのに終わらなかった会話、二人にしか分からない冗談。集めた十五件の連絡先すべてを追いかけようとすると、もともと限られた行動力が薄く広がりすぎて、どれも実らない。
正直な但し書き
同窓会で交わされる約束の多くは、そもそも友情として復活する必要のないものだ。それは誰の失敗でもない。十七歳のときに役目を終えた関係もあり、それに続編は要らない。同窓会は、それを静かに消えるままにするのではなく、あたたかく締めくくらせてくれた。それもまた、一つの完結の形だ。この熱がなぜ冷めるのかを理解する意味は、持ち帰ったすべての連絡先を追いかける義務を感じることではない。どの一つか二つの会話が、本当は「続けたい」と言っていたのかを正直に見極め、まだほとんど手間のかからないうちに、そのメッセージを送ることにある。