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友達のことをスプレッドシートで管理するのは、変なことだろうか

気づけばスプレッドシートを作っていた。最初は名前と最後に話した日付だけの、たった一列のものだったのに、そのうち相手が話していたことをメモする列が増え、今では六つも七つも列がある。いつからただの個人的な習慣が、傍から見ると「人間関係を管理している」ように見えるものに変わったのか、自分でもよくわからない。誰かに画面をのぞき込まれた瞬間、気まずさに近い感覚が走る。それがなぜなのか考えてみる価値はある。多くの人が思っているのとは、たぶん違う理由だからだ。

なぜ覚えているだけなら平気で、表になると気まずいのか

同じ情報が頭の中にあるだけなら——相手の母親が入院していること、今月大事な面接があること、前回どこまで話したか——誰もそれを変だとは思わない。むしろ「よく覚えているね」と言われるはずだ。気まずさが生まれるのは、その情報が行と列に収まった瞬間だけで、これは問題が情報そのものにあるのではなく、それを入れる「器」にあることを示している。スプレッドシートは会社が顧客を管理するための道具だから、そこに何かを書き込むと、中身が何であれ「管理」という連想を勝手に借りてしまう。

この連想と、実際の行動は分けて考えたほうがいい。両者は同じではないからだ。CRM が存在する目的は、接触を成果に変えることにある——成約、契約更新、冷めさせてはいけない見込み客。一方、友達についての表がふつう存在する目的は、手術のこと、死んでしまった犬のこと、聞きそびれたまま終わってしまった面接のことを、忘れないでいるためだ。形は似ていても、目的はほとんど正反対にある。

その表が実際に肩代わりしているもの

社会生活が近所の小さな輪の中に収まり、毎週顔を合わせていた時代には、誰もこんなものを必要としなかった。今晩の予定を覚えておくのにカレンダーがいらないのと同じだ。変わったのは、あなたが冷たくなったことではない。ふつうの大人の生活が、友人たちをより多くの街に、より長い年月に、より間隔の空いた連絡の合間に、記憶がもともと支えるようには作られていない量まで分散させてしまったことだ。表が肩代わりしているのは「思いやり」ではなく、かつて「近くに住んでいること」がただで提供してくれていて、今は自分から意図的に作り出さなければならなくなった、そのぶんの余力にすぎない。

本当に気にすべき境界線

問うべきなのは「表を使うのは変か」ではなく「それを何のために使っているか」だ。まったく同じに見える表を、正反対の理由でつけている二人がいて、そのうち一方だけが気にする価値のある使い方をしている。

それが相手にちゃんと向き合うためのものなら、何の問題もない。電話をかける前に表をちらっと見るのは、手術がどうだったか聞き忘れないためであって、記憶力を演出するためではない。本当に知りたいし、聞き忘れたら自分にがっかりするからだ。この使い方は、見た目どおりに、あなたをより良い友達にしてくれる。

それが人に点数をつけ始めたら、立ち止まって考える価値がある。表に「最後の連絡から何日」「誰の番か」「誰にメッセージを『借りている』か」といった列がいつの間にか増えていたら、それはもう記憶の補助ではなく、やることリストに近い。そしてやることリストは、義務感からくる、気の重い連絡しか生まない。友情を安らぎではなく負担に変えてしまう。見分け方は簡単で、表を開いたときの自分の気持ちを見ればいい。記憶のための表は、開いても中立か、むしろ少し温かい気持ちになる。点数をつけるための表は、開いた瞬間に小さく身がすくむ。

それを正しい側にとどめておく方法

個人的なリストを、静かな管理作業ではなく本当の思いやりのままにしておくのに役立つ習慣がいくつかある。自分だけが見るものにしておくこと——それが誰かに「これだけ努力している」と見せるためのものになった瞬間、性質はもう変わってしまっている。良い友達に自分について覚えていてほしいと思うようなことを書くこと。取引先を落とすために必要な情報ではなく——「最終連絡日」ではなく、相手が実際に話してくれたことと、次に本当に聞きたいことを。そして、それを連絡の合図として使うこと。厳密なスケジュールとして使わないこと。頻度を示す欄はきっかけの一押しであって、一週間過ぎたら利息がつく借金ではない。

正直に言うと

まったく同じ情報を管理している人はたくさんいる。ただそれを「システム」と呼んでいないだけだ。メモアプリの一行、やることリストの余白に書き殴った一言、あるいは何も書かなくても覚えていられるほどの記憶力。どれもスプレッドシートより正当だというわけではなく、ただ目立たないだけであり、それこそがスプレッドシートは奇妙に見えて、良い記憶力はそう見えない、本当の理由なのだろう。その表が友達の実際の生活を覚えておく助けになっていて、相手を「管理している」という気持ちにさせていないなら、それがどんな形をしているかは、そもそも心配する価値のある部分ではなかった。