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LINEではなく、久しぶりの友達にメールを送るのは変だろうか

しばらく連絡を取っていない相手に、言いたいことがそれなりにある。LINEの一言では、空いた時間の重みに対して短すぎる気がするし、逆にトーク画面に何段落も書くのも、なんだか場に合わない気がする。そこでメールを開いて、宛名を書き、最初の一文を打ったところで、妙な気恥ずかしさに気づく。友達に会いにいくのに、なぜかスーツを着てしまったような感覚だ。メールはここ十年以上、請求書や会議の案件通知、誰も読まない一斉配信のためにある場所だった。友達に使うのは、場違いな服を借りてきたような気分になる。

この違和感がどこから来るのか

その気恥ずかしさは、メールという形式そのものの問題ではなく、メールが普段何のために使われているかという連想から、ほぼすべて来ている。多くの社会人にとって、メールボックスは仕事が起きる場所だ。依頼、請求、会議の招待、たまに誰も読まない社内一斉配信。宛名から書き出し、最後に署名のように名前が一行だけ置かれるメールは、構造だけ見れば上司から来る業務連絡とほとんど同じに見える。同じ形を友達に向けると、内容自体はまったく硬くないのに、まるで取引先に対するような態度で相手に接しているように感じてしまう。言葉より先に、形式のほうが先に喋ってしまうということだ。

メールがLINEにはできないこと

「仕事っぽい」という連想を一度外してみると、メールには、まさにこの状況——しばらく連絡していない友達に、一言では収まらないほど言いたいことがある状況——で、実際に役に立つ特徴がいくつかある。

誰も、メールに十分後の返信を期待していない。 LINEが一日返ってこないと、少し止まっているように見えてしまうことがある。メールが一週間返ってこなくても、それはまったく普通のことだ。メールという形式は、もともとそういう速度で成り立ってきたからだ。この最初から備わっている「急がなくていい」という感覚が、両方から特定の重さを取り除いてくれる。送るほうは相手の時間を割り込んでいる気がしないし、受け取るほうも、数日かけてきちんと返すことが失礼にはならない。

既読も、入力中の表示も、送信時刻を見比べる場面もない。 長いLINEが六時間既読のまま返ってこないと、そのことだけで関係について何かを判断してしまいそうになる。メールはただ他のメールと一緒に受信箱に並んでいるだけで、どれくらい早く開かれたか、返信にどれくらい時間がかかっているかを、いちいち知らせてはこない。

長さが負担にならなくなる。 LINEで六段落のメッセージは、画面の中でひとつの「事件」のように見えてしまう。灰色の吹き出しがずらりと並ぶだけで、「同じくらいの労力で返してほしい」と暗に求めているように見えてしまうからだ。同じ六段落でも、メールの中では単に一通のメールにしか見えない。メールはもともと、一文以上書くものだと誰もが思っている形式だからだ。だからこそ、これまでの出来事をきちんと語ることができる。メッセージの見た目自体が、長さについて先に謝る必要はない。

今のLINEのIDがわからない相手にも届く。 電話番号やLINEのIDは、就職や引っ越し、機種変更で変わっていく。けれど何年も前から使っている個人のメールアドレスは、十年前の連絡先の中で唯一まだ生きている情報であることが多い。スマホを持つ前から知っている古い友人に対して、メールが手元に残っている唯一の連絡手段ということもある。

それが本当に適した場面と、そうでない場面

メールが力を発揮するのは、具体的な条件がそろったときだ。連絡が途切れていた時間が長すぎて、LINEの一言では釈然としないほどであること。そして、一度で書き切りたいと思うくらい、言いたいことが多いこと。スマホは常に手にしているのにメールボックスはほとんど開かない友達にも、逆にデスクで長い文章をきちんと読む友達にも、どちらにも合う。向いていないのは、すぐに答えが必要なことや、やり取りを重ねて決めることだ——予定を決める、ちょっとした確認をする、急ぎの相談をする。こうした場面ではLINEのほうがはるかに使いやすく、「メールのほうが丁寧だから」という理由だけで切り替えると、もともと必要なかった摩擦を増やすだけになってしまう。

仕事のメールみたいにならない書き方

人がメールに感じる硬さは、メールという媒体そのものからではなく、いくつかの習慣から来ている。それは手放してしまってかまわない。改まった宛名は要らない。「久しぶり」のような一言で、LINEと同じように十分だ。件名にも力を入れなくていい——「久しぶり」でも空欄でもかまわない。友達からのメールを、件名を読むために開く人はいない。結びも、署名欄のように名前を一行だけ置くような形にしなくていい。こうした仕事らしい決まりを取り除いてしまえば、残るのはただ、LINEのトーク画面よりも少し気長な形式を使った、少し長めのメッセージだけになる。それこそが、最初からほしかったものだ。

正直な但し書き

メールは、普段LINEでやり取りしている友情の新しい当たり前にはならないし、そうなる必要もない。ほとんどの連絡は、軽くて速いままでいいし、毎回このくらいの準備を要する形でしか話せない友情は、その維持そのものに押しつぶされてしまう。メールが本当に役に立つのは、もっと狭い、しかし確かな場面だ。何か月も、どのLINEのトーク画面にも収まりそうにないと思って送れなかった、あの一通のことだ。それを送るのに、大きな出来事にする必要はない。ただ、本当に言いたかったことを置ける、少し広めの場所がひとつあればいい。