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年を重ねるほど友達が減っていくのは、普通のことなのか

十年前、十五年前の自分には、もっと大きな輪があった。グループチャットにはもっと多くの人がいて、急に誘っても来てくれる人がもっといて、考えるまでもなく「親しい友達」と呼べる人がもっといた。今、その輪は小さくなっている。それをつい、自分が何かを取りこぼした結果、静かに失敗したことのように受け取ってしまう。でもこのパターンは、自分の内側から感じているよりずっとありふれたものだ。

輪が小さくなること自体は、この分野で何度も確認されているパターン

大人になってから社会的な輪がどう変わっていくかを調べる研究では、繰り返し似たような形が見えてくる。「親しい」と数える相手の人数は、十代から二十代にかけて増え続け、二十代半ばあたりでピークを迎え、そこから少しずつ狭まっていく。これは一つの珍しいサンプルだけで出た特殊な結果ではなく、「親しさ」の測り方が違っても、国が違っても、生きた時代が違っても、似たような形が繰り返し出てくる。そうと知っていても、自分の身に起きているときには、やはり個人的なことのように感じられる。でもそれは、あなたが友達付き合いの仕方を間違えたということではない。むしろ、初期設定に近いものだ。

なぜそうなるのか——時間が足りなくなるほど、人は選ぶようになる

二十代のころは、一つの友情を維持するコストがたいてい低い。同じ街、同じ学校、同じ職場、同じ人生の段階を、何十人もの人と同時に共有していることが多く、だから輪が広くても維持にそれほど手間がかからない。年を重ねるにつれて、そのコストは急に上がっていく。夜の時間を食う仕事、パートナー、子ども、年老いた親、引っ越し——一方で一週間の時間はまったく増えない。何かを手放さなければならなくなり、たいてい真っ先に削られるのは外側の輪、つまり嫌いではないけれど、そこまで深く投資していなかった相手だ。残るのは、無作為に生き残った人たちというより、もし最初から「意識して選ぶ」必要があったなら、もともと選んでいたであろう人たちに近い。

人数が減ることと、距離が離れることは同じではない

これは、この話を「喪失」だけで語ると見落とされがちな部分だ。多くの人が、生き残った友情のほうが、若いころの広い輪より正直で、多少のことではびくともしないと感じている。輪が小さくなったにもかかわらずではなく、ある部分では、小さくなったからこそそうなっている。二十人の顔見知りに注意を分散させずに済むぶん、残った四、五人にはより多くが注がれる。より本音に近い会話、より丁寧な追いかけ、名ばかりではなく実際に関係を生かし続ける類の連絡。人数が少ないことは、それだけで悪い結果を意味しない。単に「便利だから続いていた関係」が、便利でなくなった時点で静かに終わったあとに残った部分、というだけのこともある。

どこからが「普通」ではなくなるのか——縮小と孤立の違い

だからといって、本当の孤独感をこの話でうやむやにしていいわけではなく、その境界線ははっきりさせておく価値がある。十五人いた友人が四人に絞られ、その四人には悪い知らせも良い知らせも迷わず電話できる——これは大人によく見られる、普通のパターンだ。一方、友人がゼロに近づいていく、あるいは年に二、三回決まった集まりでしか会わず、その間には実質的な連絡が何もない——これは別の話であり、「年を取ればそういうものだ」で片付けずに、きちんと向き合う価値がある。役に立つ問いは「友達が何人いるか」ではなく、「来週何かあったとき、本当に電話する相手がいるか」だ。その答えが、たとえ短いリストであってもイエスなら、その縮小はおそらく普通の種類のものだ。

実際に助けになること

二十代のころの自分と比べるのをやめる

今の友人関係を大学時代のそれと比べるのは、まったく違う条件同士を戦わせているようなものだ。自由な時間の量も、維持のコストも、人生の段階も違う。この比較をすれば、今がほとんど必ず「損をしている」ように見えてしまう。もっと正直な比較は、今の関係が実際に何を与えてくれているかを見ることであって、まるで別のルールで動いていた人生の一時期の人数と比べることではない。

広い輪を取り戻そうとするより、残った数人を大事にする

残っている友達が、実は一番大切な相手なのだとしたら、意味があるのはその人たちにより意識的に向き合うことだ。相手の生活で今何が起きているかを覚えておく、前に聞いた話のその後を尋ねる、口実を待たずに連絡する——こういうことのほうが、かつて広い輪があったことへの懐かしさから、それを無理に再建しようとするより意味がある。広い輪はどの年齢でも誰もが持っているべきものではない。それは、たまたま維持コストが極端に低かった人生の一時期が生んだ副産物であり、戻ってこなくても何も問題はない。

縮小が孤立に変わっていないか気にかける

「誰に電話するか」という問いに、正直に答えて本当に誰も浮かばないなら、それはここまで書いてきた普通の縮小とは切り分けて、それ自体として受け止める価値がある。一人で抱え込まずに、誰かに——医師も含めて——言葉にして伝えたほうがいい。

正直なところ

「友達が減ること」のすべてが、この穏やかな話に当てはまるわけではない。うつ状態、つらい引っ越し、離婚、あるいは仕事や介護に何年も追われ続けることは、まったく穏やかではない形で社会的な輪を小さくすることがある。そうした喪失は、「大人になればそういうものだ」で済ませず、きちんとした問題として扱われるべきだ。ここに書いたパターンは、輪が小さくなることがよくあることで、多くの場合は問題ないと説明している。だからといって、今いる人たちが本当に自分にとって十分かどうかを、自分自身に問い続けなくていい理由にはならない。