友達が今なんの仕事をしているか、なぜいつも思い出せないのか
飲み会で誰かが「あの人って今なにしてるんだっけ」と聞いてきて、半秒固まる。二人の前で、自分が本当に知らないことに気づいてしまう瞬間だ。六年来の付き合いで、好きな相手で、子どものころ飼っていた犬の話ならいくらでもできる。なのに、平日の九時から六時まで何をしているかは、一文でも言えない。これはかなり特殊な種類の空白で、その気まずさの割に、実はかなりよくあることだ。
聞いていなかったわけではない
つい「自分が雑だった」と受け取ってしまうが、もっと正直な説明は、仕事の情報というものが、人を覚えるときの記憶の仕組みとそもそも噛み合っていないということだ。三つの要因が同時に働いている。
場面ではなく、ラベルだから。友達の人生は、たいていシーンの形で記憶に残る――別れ話、あの旅行、夕食の席で出た一言で全員が笑った瞬間。シーンには引っかかりがある。場所、感情、出来事の順番。仕事の肩書きにはそれがない。「中堅の物流会社で、なにをしているかは正直よく分からない」はシーンではなく、ただのラベルで、物語のついていない事実こそ、記憶がいちばん苦手とするものだ。
黙って変わり続けるから。名前はふつう変わらない。仕事は変わる。しかも静かに――異動、上司が変わる、会社自体が別の会社に吸収される。変化のたびに、前の事実がただ消えていくだけで、「ここで更新があった」という印は残らない。ひとつの固定した事実を忘れているのではなく、常に置き換わり続ける最新版を追いかけているだけなのだ。
誰も言い直してくれないから。相手の仕事の説明は、知り合った最初のころに一度聞くだけで、その後の会話はその人のもっと面白い部分に移っていく。名前は繰り返し使われるたびに記憶が上書きされて固定されるが、仕事の肩書きはたいてい一度だけ言われて、それ以降は本人も含めて誰も口にしない。
「分かったふり」のほうが、聞き直すより悪い理由
一番まっとうな解決策――もう一度聞く――は、実際よりもリスクが大きく感じられる。「え、今なにしてるんだっけ」というひとことは、聞く側の頭の中では「ちゃんと関心を持っていなかった」という告白に聞こえてしまう。だから多くの人はその質問を避けて、分かったふりでうなずいてしまう。そしてそのうなずきこそが、実際に関係を削っていくものになる。分かったふりをすると、本当の追加の質問ができなくなり、話は当たり障りのないままで終わり、次の更新も、埋まっていない空白の上にまた積み重なっていく。格好悪く見えるのを避けたかったはずなのに、その選択のせいで同じことが静かに繰り返される。
はっきり言っておく価値があるのは、聞き直すことは、思っているよりずっと良い結果になる、ということだ。たいていの人は、自分の起きている時間の大半を占めているものについて、相手に分かったふりでやり過ごされるより、もう一度聞かれるほうを圧倒的に好む。その気まずさは、ほとんどあなた側だけが感じているものだ。
肩書き一覧を作るという話ではない
反対側の失敗は、やりすぎることだ。全員の会社名、肩書き、組織図まできちんと記録しようと決めて、一週間でやめてしまう――それは友達相手の人事資料に見えてしまうからだ。実際に続くやり方は、もっと小さく、別のところを狙っている。
肩書きではなく、「手触り」を書く
「プロダクトマネージャー」と書いても、次に聞くことが何もない。「週の半分は、ロードマップを絵空事だと思っている開発チームと揉めている」なら、本当に聞けることがある。「それはきつそうだ」「それはよさそうだ」と心が動いた一点を残す。次に話を振るとき意味を持つのは、そこだけだ。
組織図ではなく、「今の状態」を書く
会社の正式名称や体制まで覚える必要はない。「今の仕事が嫌で、転職先を探している」「昇進して、ほっとしている様子」のほうが、半年後には正確な肩書きより役に立つ。何を聞けばいいかを教えてくれるからで、暗記すべき答えを教えてくれるわけではない。
古い記録は、積み上げずに上書きする
仕事についてのメモは、経歴の記録ではなく、いつまで本当か分からない「今の事実」でしかない。更新を聞いたら、古い一行は消してしまえばいい。積み重ねる必要はない。記録しているのは職歴ではなく、「今これが本当だ」という一文だけだ。
正直な但し書き
もともと相手の仕事に関心がないなら、どんなメモも助けにならない――関心があるふりは、たいてい透けて見える。ただ、もっとよくあるのは、ちゃんと関心があるのに、物語のついていない事実だけは覚えていられない、というケースだ。その場合は、今の状態を一文だけ、気負わずに残しておき、変わったらその場で書き換えるだけでいい。それだけで、「今なにしてるんだっけ」は、ちょっとした気まずさの繰り返しから、ただの会話の入口に変わる。